知覚

いわゆる芸能人(youtuber等含む)と一般的なイメージの中のサラリーマンの根本的な違いは何だろうか。基本的にはそれぞれ求められた作業をこなし対価を獲得するという意味では同じことを行っている。雇われと個人事業主とか経済規模とか細かい違いはあるだろうが、大枠で見ればそこは変わらない。では何が大きく違うのか。

 

最も異なることは、認識だろう。おそらく自分の能力を売っているという自覚や自分の役割に対して、サラリーマンの方がしっかり意識できている思う。これは、自分の仕事を評価する人(上司)や評価の対象(仕事の成果)がはっきりしているからだ。評価が理不尽かどうかは置いておくとして、この構造自体に異論はないだろう。そこに自身の人間性が反映されることは(少なくとも形式上は)稀で、会社の中でいかに仕事ができるかに重きが置かれる。会社というのはそれほどシンプルな構造になっている。これは組織の中の誰かが急にいなくなっても、確実に機能するために必要なことだ。

 

一方、芸能人はどうだろう。彼らを評価するのは所属事務所でありスポンサーであり世間であり、それぞれが異なる評価基準を持っている。私はその内情を知っているわけではないが、どれか一つに嫌われてしまえば扱いにくい商品になってしまう。また、不特定多数に顔を晒し続けるという個人情報ガバガバなこともしている。そこだけ見ればかわいそうな存在だが、成功したときに途方もないメリットがあることを考えれば妥当なリスクだろう。しかしこの状態が彼らの仕事に対する認識を鈍らせているように思う。つまり、彼らは自分が何を売っているか、何が求められているのか正しく理解していないのではないか。

 

多くの一般人からすれば、大概の芸能人は必要ないのだ。その役割を担う人がいればいいのだ。顔を出して活動をしているし自身を語る機会があるため機能と人格が同一視されがちになるが、これが視聴者たるこちら側だけならよい。しかし、芸能人本人がそう認識しているとなると話は別だ。確かにその人格や容姿は唯一無二だが、機能として唯一無二な方はほとんどいない。いかに美人で人気がある女優でも、例えばスキャンダル等で失脚してしまえば、その枠に別人が簡単に入り込む。そしてその内存在を忘れ去られてしまう。果たして、この状況は先に述べた一般的な会社と同じ動きではないか。

 

 

 

はてさて、ここ最近は自身が求められている機能を正しく認識せず、あたかも己の人格が認められていると勘違いし、簡単にその機能を手放してしまう芸能人が多く見られる。SNS等の普及により世間との距離が近くなった影響もあるかと思うが、実際にそこにいるのはあなたの人格を愛する友人ではなく、あなたを評価するたくさんの上司なのだ。